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『タマとの思い出』 ペンデルトン






【 2003年4月7日 】
タマ、元気?年が明けて一番にしたことは、タマのお墓参りだったよ。 もうタマがいなくなって4ヶ月経ったんだけど、不思議なことに、写真立てのタマの写真を 変えた夜は、必ず夢の中にタマが出てくるね。 何か特別なことがある訳じゃなくて、夢の中ではいつも「あれ?やっぱりタマ生きてたんだ。」 とほんの少し驚いて、腕枕して一緒に寝転がっているぐらいだけど、この何気ない少しの時間が とても幸せだったりする。(何か胸が温かくなって、優しい気持ちになれる。) でもこの間一回だけおかしなことがあった。明け方頃だったと思うけど、寝てる時 頭にタマが当たってきてる感触があって、「あれ?部屋のドア開けてたっけ?」と 目を開けたら何もなかったんだけど、あれはタマが来てたんだよね。 感触ですぐわかるから。

さてと、今日はどんな昔話をしようか。 あれはタマが三歳ぐらいの時かな。自分が部屋で勉強してるとタマが机の上に飛び乗ってきて、 ごろ〜んと寝転がってくつろいでたよね。そして動くシャープペン相手にたまをとりだして 「あぁーーっ!!」ってノートをぐしゃぐしゃにしてた(笑)。小さい頃はティッシュ箱の 中身をばら撒いて遊んだり、好奇心旺盛に色々してたけど、いつの間にかそういうことも しなくなっていたよね。

そうそう、今タマのお墓の上にある桜の木が満開になってるよ。 と言っても、自分の頭の上のことだから言うまでもないか(笑)。 近頃ちょっと体調崩し気味だけど、タマがいつも近くで見守っていてくれている みたいだから大丈夫でしょう。じゃあまたね。タマ。



【 2002年12月16日 】
学校で空想の授業を受けていたらタマの夢を見たよ。 すぐ忘れないようにノートに書きとめようと思ったけど、 「空想の授業だからノートやペンは使ったら駄目」だと注意された。 でもタマが永眠についた一週間前の夜と違い、今日はタマとゆっくり 一緒にいられたから幸せだった。何か台所にタマがいて、一瞬幻だと 思ったんだけど、やっぱり幻じゃなくて、「ああ、やっぱりタマ生きてたんだ」 としばらくゆっくり過ごして、何度もタマの名前を呼んだ気がする。 そして玄関でいつものようにブラシをかけていたら、小さい頃のように 手に甘噛みをしてきて、続いて激しくネコキックをされて目が覚めたよ。 何か夢の中で夢を見ていたらしくて、起きてから「空想の授業」っていったい なんなんだと思った(笑)。でも一応手を匂ってみたけど、やっぱり夢だったみたい。



いつも弱々しいのに、実は意外としぶとい。

タマのお墓には最初缶詰がひとつ置いてあったんだけど、次の日はふたつに、 その次の日はみっつに、昨日見たらよっつも置かれていたよ。先週お母さんが かなり気落ちしていたみたいだから、写真立てを自分用とは別に2つ買ってきて プレゼントしておいたよ(自分も写真立てを飾ってから元気になったし)。 今年に入り、タマはよぼよぼのおじいさんになっているのを見て、お金を全部 つぎ込んでも、若返るんだったら若返らしてあげたいと思った。色々な愛情の 中でも、子供を思う母の愛情というのは最も強い特別なものだと思う。

記憶が薄れないうちに、また昔話をしようか(書き留めておかないとね)。 ネコの天敵って実は「小さな子供」らしくて、タマも小さい頃親戚の子供(5、6歳)が うち来ていた時はよくおびえて縮み上っていたね。 ある日、朝早くから親戚が来ていて、タマは助けを求めるように自分の部屋に やって来たので、あの時は匿うように(笑)パジャマの中に入れてあげたよね。 そしたらビクビク脅えるようなこともなくなって、お腹のところでぐっすり 寝てたね。あの頃はタマも小さかったからパジャマの中に入ったんだけど、 大きくなってからは絶対無理。絶対入らない(笑)。

そうそう、タマの写真は20枚ぐらいしかなかったので、今度雪山さんにデジカメの ものをプリントアウトしてもらうことになったよ。よかったね。 もう今は完全に元気だけど、先週雪山さんとかMAYUKIさんとかMarillaさんとか 昔犬や猫を飼っていたという人達から励ましてもらったりしてすごく嬉しかったよ (やっぱり動物と一緒に暮らしていたような人は色々気持ちがわかるみたい)。 それじゃあ、またね。タマ。



【 2002年12月9日 】
タマ。昨日タマのお墓ができてたよ。ちょうど庭の一番奥のちょっと入り組んだところ。 桜の木の下なんだけど、周りは大きな生垣に囲まれているし、右は小さな丘で左は車庫なので 家の人間以外誰も近づけない、いかにもタマが好きそうなゆっくりくつろげる場所だと思うよ。 居間の窓からちょうど見えるというのも良いね。昨日は紫のキクがあったけど、今日はピンクの ゼラニウムが置いてあったよ。タマの人間の方のお母さんがだいぶ落ち込んでいるみたい。 いつも一緒に寝ていた布団は猫臭いので、あの長枕と一緒に処分してた。拾ってきた時から 毎日一緒に寝てたから、小さい枕で一人で寝ているのが何か可愛そうだったよ。 タマは毎晩ブラシをかけてもらってたもんね。寝る頃になると必ず先に玄関に行って 待ってたし。本当の子供のようによく可愛がって育ててもらってたもんね。

今日写真立てを買ってきたんだけど、木の暖かみのするシンプルなものにしたよ。 エメラルドの大理石風写真立てあったけど、これだと飽きるでしょう? 机の上のちょうど銀行と郵便局の通帳が置いてあったところ(特等席)に飾ったけど、 これは何か「すごく良い」感じ(その時の気分で写真を変えられるし)。 やっぱり写真があると落ち着くし、一日一回はタマの顔を見ないと調子が悪いみたい。 それと、少し探したんだけど、海の近くのお土産屋で売ってるような小ビンはなかったよ。 今一番の問題は、タマの毛や髭を入れているコーヒーのビンが、開けるとものすごい 臭いがすること(笑)。早く洗って小ビンに詰めるとか、何かすぐ対策をとらないと 危険な状態に陥る感じがする(爆)。

まだ話したいことは色々あるし、だんだん元気も出てきたんだけど、 今日はここまでにするね。またそのうち話にくるよ。じゃあね。



【 2002年12月8日 】
タマが永眠してから一晩が経ちました。 最後だからと親がいつものようにベッドに連れて行って一緒に寝ていました。 身体はタオルには巻かれていたけど、寝ている顔はいつもと同じ穏やかな顔をしていました。 (でも身体はすっかり硬くなってた。) 朝になって、昨日ほんとに死んだのかな?くすぐると起きるんじゃないかな?と思い喉をくすぐって みたんですが、するとほんとに死んでなくて、ひょっこり起き上がると、 ご飯をもらいに元気に走っていました。驚いていると夢から覚めました。 夢だとわかり寂しかったですが、またタマの元気な姿が見れてほんとに嬉しかった。 きっと励ましに来てくれたんだと思います。 また道に迷ってるんじゃないかなと心配していましたけど、 タマはああ見えて意外としぶといので、大丈夫だと言いたかったのかな。 昨日はこんなに悲しくて寂しい思いをしたのは初めてだったけど、 落ち込まないでがんばるよ。 (一度ホルマリン付けなんて現実離れした案も出たけど、タマのお墓は庭の桜の木の下 に作る予定です。私は何をお供えしようかな。) でもキッチンの床のタマ専用のお皿がすべて片付けられているのを見ると、 言葉にできないほど寂しい気持ちになって、ほんとにいなくなったんだと実感してしまいました。 色々なところに置いてあったタマ用の箱もなくなってた。 タマは箱とか狭いところすっぽり入って寝るのがほんと好きだったな。

昨日の夜親に聞いたんだけど、タマはろくに立てないのにふらふらと一人でトイレに行って 中でこけていたらしいね(最後まで行儀がよかった)。 それも何かトイレの砂を食べていたとか。食べてたんじゃなくて立っていら れなくて砂に顔をつけていたのかもしれない。(そういえば、二日前の夜タマの口元に トイレの砂がついてておかしいと思ったことがあった。)でもそんな姿を見たら きっと耐えられないような気持ちになると思う。最後の方は生きてることを確認する ように見ていないといけなかったのでほんとにつらかった。気がどうかなりそうなぐらい。 なので病気などで苦しんだりせず、 ぐっすり眠るように穏やかな顔で永眠についてくれたのが嬉しかった。 嬉しいなんて言ったらいけないけど、ホッとした気持ちになった。 ほんとの悲しさや寂しさを感じるのはこれからなんだろうと思うけど、 何かどこかで見守ってくれているみたいだし(笑)、 自分もがんばるから、タマも心配せずにのんびり見ていてね。



カメラのフラッシュにしばし呆然(笑)。

そういえば、タマは小さい頃動くものは何でも興味津々で、夏なんか朝寝てると、 チリン、チリン、チリンとどこからか首輪の鈴の音が近づいて来て、いきなりお腹の 上にダイビングとかされてました(笑)。大きくなるにつれてそういうことはしなくなったけど。 普通のカメラで撮った写真の小さなアルバムがあるけど、すべて3、4歳以上のもの だから少し残念。その頃はすっかり大きくなっていたし、手のひらにのるぐらい 小さかった頃の写真を見てみたかった。どうしてだか、 不思議とその頃の姿がほとんど想像できないんです。 タマのことはほんとに子供のように思っていたし、孫のできたおじいちゃんのように ずっと他人が呆れるぐらい可愛がっていたから、やっぱり別れるのや気持ちを整理 するのは言葉で言う以上につらいね。タマ。もっと長生きして、もっとずっと一緒にいた かったよ。

タマ。お墓に埋める前に少し毛を切って、小ビンに詰めてお守りにしようと思ってるんだけど、 そうしてもいいかな?



【 2002年12月7日 】

先月9歳の誕生日を迎えたタマですが、もう一緒にいられる時間が僅かになりました。 昨日から何をしていてもタマのことが頭から離れず(思い出ばかり頭に浮かぶ)、 今にもうとうとと永眠につこうとするタマの姿を見ているのは言葉にできないほど つらいもので、たった今もコタツの中で静かに眠るタマに呼びかけてみたのですが、 呼んでも頭をなでてもほとんど反応はなく、ただ手を握ると何か言いたそうな目をして 強くツメを立てて返事をしてくれました。 (いつもはおでことおでこを合わせてぐりぐりすると、くすぐったそうに耳でぱちぱちと 叩いてくるのですが、もうそんなこともしてくれません。まともに立つことすらできません。) 最後の時が迫ると共に思い出話などできる精神状態ではなくなってきましたので、 今のうちにタマとの思い出を書き綴っておこうと思います。



デジタルカメラの写真はすべて三年前のもの。若い!

タマはちょうど今から9年前、少し小雪の降る日に箱に入れられて捨てられていたのを 私が連れて帰ったんですが、あの頃はほんとうに手のひらにのるぐらい小さくて、 確か2週間ぐらいは警戒心がとけずにびくびくしていた記憶があります。 実は連れて帰る時2回も箱から飛び出して、車の下などに逃げ込んだりしてたのですが、 あの時タマがこんなかけがえのない大きな存在になるなんて思いもしませんでした。 タマを連れて帰って以来、私は本当の自分の子供(赤ちゃん)のように毎日愛情を注いで タマを可愛がり(もっとも、その頃私も子供だったのですが)、タマはうちの親(母)を 本当の自分の母親のように慕い、9年間ほぼ毎日ベットで腕枕をされて寝ていました (母が一階で寝ていても二階で寝ていても、タマにはそれがわかるので、 おいていかれた時は必ず探しにいく。どの部屋の中にいるかわかるらしい)。 腕枕をされていない時も、人間と同じように枕をして布団をかけて寝ていましたし、 ご飯の時も一緒でしたので、恐らくタマはずっと自分のことを同じ人間だと思っていたはずです。



猫にだけ見える、どこかへ続く扉があるの?

普通外猫の場合、後から家の中で暮らすようになったとしても、 木に登ってセミやスズメを掴まえたりできるものなのですが、 タマの場合そういったことはまったく駄目で、子猫や小さなカマキリさえ怖がるぐらいです(笑)。 (外猫はセミでも小鳥でも掴まえると無邪気にいたぶって遊ぶくせがあり、結構残酷。) いつだったか、ずっと昔、ひなたぼっこを終えた後、背中にカタツムリを乗せて帰ってきたこと があって、わあ、メルヘンだなぁと思いました(笑)。 まだ小さい頃、外に出たまま道に迷って家に戻って来れなくなった時も ありました。ドアをずっと開けていたら、夜遅くにひょっこりと帰ってきて、あの時は本当に 嬉しかったです。普通の猫だったら一日ぐらいいなくてもそれほど心配することはないかも しれませんが、とにかくタマは優しくて、大人しくて、行儀が良くて、人見知りが激しくて、 高いところにもろくに登れない、言ってみればお坊ちゃん猫(箱入り猫)なので、遠くに行った りするとほんとに心配でしたね。でも3、4歳ぐらいから外に出てもほとんどまったく家の 側から離れなくなりましたし、家の前に近所の人がいる時など、ドアの隙間から半分顔を覗かせて こっそり様子をうかがったりしてました(笑)。



鳥などいつも興味深く観察してました。何か背中に哀愁が漂ってる?

実はタマは小さい頃とても身体が弱く、人間の食べ物を色々あげた時などよく 吐いたりしてました。本当は人間の食べ物は味が強いのであまりあげてはいけないんです。 でも夕食のおこぼれを少し貰う他に、タマは甘党なのでよくシュークリームやヨーグルトなど好んで 食べてましたし、何故か大のお豆腐愛好家でもありました(笑)。

まだ一歳にもならない時、初めて食べ物や毛玉などを吐いて苦しそうにしていた時のタマの姿は今でもよく 覚えています。痛いよ。苦しいよ。とこっちを見て訴えかけるような目をして鳴いていましたから、 あの時の胸の締めつけられるような思いは一生忘れることはないと思います(あんな悲しい目をして 鳴いたのは、この時と、昨日自分で立つこともできなくなった時の二回だけです。)。 食べ物などを吐いた次の日、動物病院に行ってレントゲンをとってもらったりしたんですが、 そこの獣医からは「もう長生きはしない」、「もって2、3ヶ月ぐらいだろう」と言われたんです。 ですが、その後愛情をたっぷり注いで育てたおかげか、タマはすっかり元気になり、 この9年間病気もなにもなく、健康に寿命をまっとうすることができました。

今年に入りすっかり老け込み、足腰も弱っていましたし、猫の1年は人間の7年にも相 当するということで、かなり年を食っているのはわかっていたのですが、こうも突然立つ こともままならなくなるとは考えもしませんでした。ただ今思うことは、もし突然の事故 などで愛する子供を失った親はどうやって気持ちの整理をつけるのか。時間と共に 心の傷が少しは和らいだとしても、諦めたりできるはずがないです。そう思うと、 小さい頃病弱だったタマが、その後病気も事故もなく、 年老いて痩せ細り(体重は5キロから2.5キロに)足腰がよぼよぼになるまで 寿命をまっとうできたことは、それはよかったと喜べるんじゃないかと思うようになってきました。

1年前、前歯が一本抜けて全然ご飯が食べられなくなった時、 冷蔵庫を開けると「くれ」と寄ってくるのですが、皿の前で黙ってじーと ご飯を眺めているだけで食べることはありませんでした。 そういうのはもう習慣で身体が覚えていることで、歯が悪くて食べられなくても くせで「くれ」という風に言ってくるんです。その姿は本当に見ていて痛ましかったです。 (その後しばらくして元通りに食べれるようになりました。) もうろくに立つこともできないのに、昨日もふらつきながらトイレに行ってました。 身体は思い通りに動かなくても、タマは最後まで行儀の良い猫です。 (最近カチカチとツメを立てて歩かないといけないほど足腰が弱っていましたが、 それでも階段を上ってよく二階まで来てました。時間と共に薄れていくのかもし れないけど、今も布団にタマの匂いが残ってる。次気がついた時にはこんなタマの匂いも忘れているんだろうな。) タマがいなくなっても、ドアの前で音がした時、タマが「あけろ」と呼んでいる時がして ドアを開けて見てしまうと思いますし、タマのよくいた場所に面影を感じることをあると思います。 外でタマによく似た猫を見ると気持ちが変になりそうになると思います。

知らない間にうちの親がタマを動物病院に連れて行っていたのですが、 たった今、抱いて戻ってきた時もうタマは生きていませんでした。 写真と同じように、目も口を開けてまま、普段の優しい顔をしていました。 タマはどれだけまわりを幸せにしていたかわからないと思います。 どれほどタマに感謝しているか。自分より長生きしてほしかった。 よぼよぼでも先週まで元気だったのに、もっともっと一緒にいたかったです。 今までタマのことを考えなかった日はないし、拾ってきた時から9年間毎日タマ、タマ、 タマとずっと読んでて、よくわずらわしそうな顔をしていた時もあった。 ほんとに好きで好きでしかっなかったんだと思う。 ほんとに自分の子供のような存在で、何よりも大事に思っていた。 自分の子供ってそういうものなのかもしれないけど。 今日ツメを立てて返事をしてくれたのが生きてる時の最後の時間でした。 ずっと一緒に暮らしていたかったです(明日からタマのことを思い出すのが怖い。 もういないことをいやというほど実感して、怖いぐらい寂しい気持ちになるんだと思う。 でもタマとの思い出や記憶が薄れるもの同じぐらい怖い。机に若い頃のタマの写真を飾ろうと思う)。 最初は赤ちゃんだったのに、9年弱で65歳のおじいちゃんになって先に 死んじゃったね。でも先におじいちゃんになっても子供は親の子供だと思う。 外で暮らしていたらタマはどんな一生をすごしたんだろう。 でもタマは臆病でのろまなのでけんかとか絶対できないよね。 タマにとって自分はどんな親だったんだろう。 この9年間タマを幸せにしてあげられたのかな?



親愛なるタマへ。
もう話すことはできなくなったけど
今まで本当にありがとう。そしておやすみなさい。
タマといられて本当に幸せだったよ。
今からタマをひろったところに行ってくるね。






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